千代鶴国安
越前打刃物は、京都の刀匠、千代鶴国安が南北朝時代の延元2年、刀剣製作の適地を求め府中に来住し、越前市の打刃物業者に刀鍛冶の高度な技術を教えたことが始まりといわれています。
この千代鶴派を始め、藤島派、敦賀鍛冶など中世の越前には多くの刀工が活躍しました。
康継の初代は近江国に誕生後、越前に移住し、美濃伝の刀鍛冶として活動した。
大坂の陣後、焼けた古名刀を焼き直し、その写し物も制作するなど大いに徳川家康の意にかない、「康」の一字を拝領。茎に葵紋を切ることも許され近世に隆盛する刀工として名を馳せた。

蕨手刀(わらびてとう)
生活用品として鉈や山刀などの比較的短い太刀をつくり使われ始め、後に刃は長く、
柄の部分は反り返り強力な武器へと進化し、平安時代中頃には完成したと考えられる日本刀であるが、その前身と言われる蕨手刀が実に興味深い。
柄の先端がわらびのように丸い形をした鉄製の刀を蕨手刀と呼ぶ。律令国家の中心地である畿内とは異なる文化を持つ蝦夷の人々の騎馬用武器としても使われたと考えられ、7~8世紀のとりわけ北海道や東北地方の古墳や古墓の副葬品としての出土が目立つ。


大宮巖鼓神社に千三百年前の蕨手刀
群馬県は、古代から運搬や農耕軍事に使われていた馬の育成地、渡来人も多くいた先進的な技術が
集まる所であった。
その地で、西日本最古の製鉄炉の遺構が見つかっている。鉄は古来砂鉄と炭から作られていた。
日本書紀には、朝廷の役人がこの地で蕨手刀を作らせたとの記載がある。
作り方が謎に包まれている刀を輪切りにするようにCT撮影して内部構造が調査された。
不純物が極めて少なく質の高い鉄が使われている。
不純物を取り除くために鋼を何回も折り返してたたく、折り返し鍛錬せずに、
板のような状態のものから作られている。どうやって鍛錬せずに質の高い鉄に仕立て上げられたのかは解明できていない。


伝家の宝刀
どんな困難に直面しても、にっこり笑って難局を切り開く、そんな  伝家の宝刀 を内に秘めておきたいものである。

【川中洋一】