2012年04月編 川中洋一

 良いものを長く使うのがエコであるというようなCMを見たことがあるが

電気シェーバーを買い換えた。そこそこ値段もいいものを買った。
今までのものは、毎年正月に刃を交換していた。
髭はそんなに濃くはない、というよりも薄のでそこまで交換する必要もなかったかもしれないが、
年中行事の様にして交換していた。

外刃と内刃があるので交換にはそれなりの支出を伴ったし、
ともすればそれで新しいシェーバーが買えたかもしれない。

近年は、この型番の刃を探すのも苦労するようになってきていた。
充電式のはずが、バッテリーが古くなると充電しなくなるので2回バッテリーを交換した。
この交換も安くはなかった。

そこまでして使い続ける必要もなかったのだろうが、
このシェーバーは、結婚したときに持ってきてくれたもので、
何となく買い換えましょうという気にはならなかったのである。

充電の度に熱を持つようになり、またしても充電しなくなったので、
今回はバッテリーの交換をせずに買い換えることとした。
長く使うと愛着が湧くものであれこれ17年以上は使ったことになる。

このことを家内にいうとあきれたように苦笑する。

テレビも洗濯機も冷蔵庫も買い換えたが、未だに使い続けている家電がある。
 

「ヘアードライヤー」である。

これは高校時代から使い続けている代物だけに、色はホワイトといいたいところだがベージュである。

弟が高校の学校祭の出し物を乾かすときに付けた緑のペンキが未だにはがれずに残っている。

最近ファンの回転音がちょっと怪しくなって来たような気がする。気のせいではないかもしれない。
今は私よりも家内が使う時間の方がずっと長いので使えなくなると困るのは私1人ではないようである。

一昔前の方がものの造りは丈夫だったかもしれない。
買い換えたシェーバーはこれから何年使えるかわからないが、
ソリ心地は以前のものより格段にいいと思えた。

技術は進歩し、素材も変わる、便利になって使い捨て時代だが「直るものは直して使いたい」と思うのは、
私だけだろうか?
 

コンピータ制御のデジタル家電全盛の今、どこが壊れたのかわからないでは直しようもありませんけれど

【川中洋一】